てるてるちゃおず

あ〜した元気にな〜れ

昼と月

月島蛍について語るとき、対比されるのは日向翔陽だとずっと思っていた。この二人は「太陽VS月」と作中でも対比されている。しかし、月島が「その瞬間」を経た今となっては、もしかして対比されるべきは昼神幸郎なのではないかと最近思うのだ。

二人とも、兄姉の影響でバレーを始めた。体格には恵まれている。でも、二人とも、自分の何かを懸けてまでバレーボールはできなかった。そういう点で、彼らはよく似ている。実際二人とも冷静なリードブロックを持ち味としているし、熱血ではないキャラクターも、ついでにふわっとした髪質も、似ている。

そんな二人の最大の共通点は、"なにか当然のようにバレーを愛する者"から"別にバレーを愛せなくてもいい"と教えてもらって救われたことではないだろうか。

 

月島は実は相当なお兄ちゃんっ子だ。兄の影響で自身もバレーボールを始め、兄の活躍を純粋無垢に信じて疑わなかった。第88話「幻覚ヒーロー」までは。たぶん月島は、バレーボールではなくて兄が大好きだったのだ。だから、あの日から一転、月島にとってのバレーボールは「たかが部活」に成り下がった。しかし月島は、バレーをやめないどころかなぜか烏野に進学している。その真意は作中では触れられていないが、山口忠も「ツッキーは バレーは嫌いじゃない…筈なんだよ そうじゃなきゃ烏野に来ない」と語った。

ーたかが 部活だろ

なんでそんな風にやるんだ そんな風にやるから

あとで苦しくなるんだろ

第10巻 第86話 月の出 よりー月島蛍

月島は、心のどこかでバレーボールを愛したかったのではないかと思う。たかが部活に必死になった兄を責め、何よりたかが部活を兄の全てであるかのように思い、不要な嘘までつかせ、兄を追い詰めた自分を責めた。その一方で、兄がそこまで必死になったバレーボールを心のどこかで愛したかったのではないかと思うのだ。でも、愛するってそんなに簡単なことじゃない。愛したいから愛せるわけでもない。前回ちょうど「日々バレーを愛するバケモン」について書いたけれども、月島にとっていちばん忌々しい才能こそ"バレーを愛する才能"だったのだと思う。それは先天性のものなのだと、月島は思っていた。だから、日向や影山のような理由なしで頑張れてしまう人間に苛々する。そういう人間と線引きしていたのに、隣にいたはずの山口を含め烏野全員が頑張り出して、いつの間にか一人取り残されていて、それでも前に進めない苛々のピークが東京遠征だった。

ー"その瞬間"が 有るか、無いかだ

第10巻 第89話 理由 よりー木兎光太郎

停滞していた月島を救ったのは、この一言だ。月島が天に与えられし才能だと思っていたものを、木兎光太郎は呆気なく否定した。バレーを愛するかどうかは、きっかけが有るか無いかの違いだけ。それは持っていなければならないものではなくて、持てる人だけが持っているのでもなくて、ある日突然やって来るかもしれないし、やって来ないかもしれないもの。なんなら日向に近いようなキャラクターの、全国5本指に入るスパイカーが、そう言ってくれたことは救いだったと本当に思う。あの日から、月島の人生は動き出した。

ーただ もしも その瞬間が来たら

それが お前がバレーに ハマる瞬間だ

第10巻 第89話 理由 よりー木兎光太郎

 

一方で昼神は、バレー選手だらけの家族に囲まれ、当然のようにバレーを始めた。自分はバレーを愛していると信じていた。迷わず強豪の門をたたき、何かを削るようにバレーボールに自分を費やし、優秀選手に選ばれて、昼神の心にやがて訪れたのは限界だった。

…俺 もしかすると …つーか 多分

バレー あんま好きじゃないや

第40巻 第351話 身軽 よりー昼神幸郎

「ミスをするこの手がわるい」と自らの手を傷付けながら、涙目で「あんま好きじゃないや」と吐き出した気持ちはどんなだったろうか。愛せない恐怖だろうか、愛していなかった絶望だろうか。

…じゃあ やめればいいんじゃね?

第40巻 第351話 身軽 よりー星海光来

押し潰されそうな昼神を救ったのは、この一言だ。人生を懸けてバレーをこよなく愛する星海は、バレーをいちばんに愛さない人生を当然のように許容した。

別に死なねぇ

やめたからってお前が身につけた強靭な筋肉は簡単には無くならない

お前 今 バレーは腹いっぱいなのかもな

あんだけガツガツやってりゃな

第40巻 第351話 身軽 よりー星海光来

それでいて星海は、今まで必死にバレーをやってきた昼神の時間も肯定した。もちろん昼神は、決してバレーが嫌いなわけではない。そうでなければ続けない。いつでもやめると思えて視界が開けたあの日から、昼神は素直にバレーボールと向き合えたのだ。

自分はバレーを好きであるべきと思っていた

兄や姉のように 人生の真ん中にバレーがあってしかるべきと

でも俺は 高校から先へは進めない 兄姉や光来くんの様にはなれない

第40巻 第351話 身軽 よりー昼神幸郎

 

非常に似ていて、決定的に異なる二人のミドルブロッカー。彼らの最大の共通点にこそ、最大の相違点が含まれている。二人とも、"なにか当然のようにバレーを愛する者"から"別にバレーを愛せなくてもいい"と教えてもらって救われた。ただし、昼神は「"もう"愛せなくてもいい」で、月島は「"まだ"愛せなくてもいい」だった。愛せなくていいと教えてもらって、いつか愛し終わる準備ができた昼神と、いつか愛する準備ができた月島。気づけば名前すら対照的に思えてくる。昼が終われば、やがて夜に月は光り輝く。

 

けれども、どちらが良いとか悪いとか、幸せとか不幸せとか、そんな優劣は全くない。散りゆく桜も美しいし、芽吹きを待つ桜も心躍る。終わりかけの線香花火も愛しいし、打ち上げ花火の上がる音もまた風流。ハイキュー‼︎ という物語の、そういうところが大好きだ。バレーボールをいちばんに愛する人生を全力で描きながら、いちばんではなくともそれぞれにバレーを愛した人生もまた美しいと、全力で訴えている。人生の端っこでバレーを愛してもいいし、ゆっくりとバレーを人生の真ん中に寄せてもいい。

月島について語る予定がいつの間にか昼神を語ったような気もするけども、どっちも最高なんだからしょうがない。